閑話 四十九日法要のイハイ(前半)

 私の父が亡くなった。葬儀告別式が執り行われる日程に外来日が重なり、大変申し訳なかったが、急遽休診にせざるを得なかった。予約患者さん達には大変ご迷惑をおかけしたが、おかげさまで葬儀は無事終わりました。
 さて、自分の家は仏教だろうし、お墓もあるから住職様もいるだろうし、当然仏式の葬儀を行った。仏教に宗派があることは知っていたが、実は自分の家の宗派までは知らなかった。でも知っているお経も(2種類だけど)ある。ひとつは、『般若心経』。学校の授業で写経したし、哲学や心理学や人生訓の書籍を読み漁ったときに、それなりに意味も覚えた。「すべてのものに実体がない空(くう)という概念」を述べているそうだ。二つ目は、『延命十句観音経』。当時、病に苦しみ、治る見込みもなかった重病患者が、この経典を千回唱えたら奇跡的に回復したという。妻が倒れてから様々な闘病記を読み漁り、そういう逸話がそこかしこに引用されていた。だから、お経を必死に唱えてるうちに暗記してしまった(闘病前には全く存在すら知らなかったけど)。まあ、この程度でも信仰心はある方だと自負していた。
 だから、四十九日って言葉も知っていた。遺族が亡くなった人の死を悲しむ期間で、周りの人に死の穢れを伝染させない期間だと理解していた。
 でも、四十九日法要が、七七日(なななぬか)とも言われるように、七日を七回繰り返すこととは法話を聴くまで知らなかった。
先考(亡くなった父をこう呼ぶ)は一人で冥土へ旅立つが、暗い道をずっと歩き続けるイメージだそうだ。そして、七日ごとに裁判?のような儀式があり、それぞれの罪が決まり、最終的な総合判断が決定されて、死者の来世が決まるのだそうだ。だから、遺族は、少しでもいい世界に生まれ変われるようにと手厚く法要するのだそうだ。まあ宗派により全く違うのだろうが、そのような法話だった。

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