院長になるまで #4

大きなリクライニング車椅子に乗っかった妻が、僕の横に登場しました。直接、目も合いました。妻に声をかけようと口を開いた瞬間、妻のほうから声がしました。驚きました。その発声はまるで言葉になっていなかったからです。主治医の説明で、意思疎通が困難な全失語症、高次脳機能障害と確定診断されたことを理解しました。

それでも在宅介護に向けて、リハビリ加療を休まず続けて頂けました。回復期リハビリには様々な職種のプロフェッショナルなスタッフがかかわっていらっしゃいます。一人一人に謝意を直接述べる機会を頂けませんでしたが(コロナ禍の中まだ面会禁止でしたので)、すべてのスタッフのご尽力に感謝しています。そして、転院後140日目、あの空白の8時間から275日目にしてリハビリ病院から退院でき、とうとう妻を自宅に連れ帰ることができたのです。

この期間中は、妻の闘病だけでなく、僕の心臓血管外科医師としての立ち位置も、揺れました。

妻が倒れてからは、妻の容態が常に気になり、患者様の生命を直接預かる心臓血管手術執刀の集中力を保つ自信がなくなり、執刀は断っていました。ずっと、僕はあの空白の8時間に何もしなかった自分を恨み続けていました。もう心臓血管外科医師・手術執刀医だけではなく、急性期病院での臨床医生活ですら、以前のようには送れないと頭では理解しても、現実には心臓血管外科医以外の働き口を探すことは全くしませんでした。妻がどうなるかこの先予想もできませんし、その指針の方向性が決まらないことには、僕自身の生き方も決まらないと思っていたからです。

そのタイミングは、9月初旬に急遽転院が決まり、そのリハビリ病院の主治医に「年内に在宅介護を目指しましょう」と目標設定してもらった瞬間に訪れました。その時に自分の中で、今後の生き様がはっきりと決まりました。

(次回最終回)

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